種まき cloud seeding 2003 10 22

 イエス・キリストの生涯を考える時、
それは、種まきの人生であった。
 あの当時も、戦乱が多く、人々の心は、荒れていた。
しかし、愛の教えを、人々の心に、種をまくように、教え続けた。
ある時、種は、肥沃な大地に落ち、
ある時、種は、岩の上に落ち、
ある時、種は、川に落ち、
岩や川に落ちた種は、芽を出すことはなかった。
しかし、それでも、愛という種をまき続けた。

 釈迦は、弟子に、教えを、人々に伝道する時に、
こう指示したとも伝えられている。
 蓮の花が咲いている人に、教えても仕方ない。
また、蓮の花が咲くには、まだ遠く、
沼の底にある人に、教えても、むずかしい。
もう少しで、蓮の花が咲きそうな人に、教えなさい。
あるいは、水面に近い人に、教えなさい。
 これは、弟子が説法する時の苦労を心配したのかもしれない。
あるいは、伝道において、弟子に、少しずつ成功体験を積ませ、
弟子の実力を向上させたかったのかもしれない。
 仏教とは、より多くの菩薩を作っていく方法論かもしれない。
菩薩とは、キリスト教的に言えば、天使のことです。

 種まきも、蓮の花も、どちらも真理でしょう。
これは、「愛と悟り」の方法論でしょう。
あるいは、「調和と発展」を意味しているかもしれない。
 「愛と悟り」は、両立させることが、むずかしいかもしれない。
しかし、愛は、横に働く力であり、悟りは、縦に働く力であり、
それは、縦と横で、十字架になっている。
人間にとって、本当の十字架とは、「愛と悟り」でしょう。



















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